浦安せんだん接骨院は、ここ「浦安」市の「猫実」という土地で皆様の健康のお手伝いをさせていただいてます。
この場所でやらせていただいているからには、この土地の歴史を認識することが大事です。
ということで、近隣と合わせましてこの地域の歴史を紹介させていただきます。
明治初期の地図をみると「猫実村」「堀江村」「当代島村」という地名が確認できます。明治22年の町村制施行により、この三村に加えて「欠真間村」が合併され「浦安村」が成立しました。
これが「浦安」という地名の誕生です。
この命名者は初代浦安村長の新井甚左衛門だと言われております。甚左衛門は隣の「行徳」の向こうを張って漁場(浦)の安泰を祈ってつけたとも、日本古来の美弥、浦安の国からその名を得たともいわれるております。
この三村のなかで「堀江村」は文字通り「堀江の村」という意味で、「当代島村」は鎌倉時代に開墾されてできた土地でその土地を「当代」(現代の意)にできた島であることからこのような地名になったといわれております。
ここで注目すべきは「猫実村」です。
「浦安町誌」にはこう書かれております。
「鎌倉時代に永仁の大津波に遭い、部落は甚大な被害を被りました。その後部落の人達は、豊受神社付近に堅固な堤防を築き、その上に松の木を植え津波の襲来に備えた堤防はそのころとしては実に立派なもので、村の者はこの完成を喜び、今後はどんなに大きい津波が来てもこの松の木の根を越すようなことはないと喜びました。
この松の根を波浪が越さじという意味から「根越さね」といい、それがいつの間にか猫実と称されるようになり本村の村名になったといいます。 谷川彰英著 「千葉の地名を歩く」ベスト新書 より